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Re: 『4つの国の同級生』

 投稿者:Yozakura  投稿日:2011年 8月28日(日)09時29分25秒
返信・引用
  > No.1621[元記事へ]

ベックメッサーさんへのコメントです。

ベックメッサー様:初めまして
 著名な動画共有サイトでは、同名の投稿者----多分、御本人だと推測しております----により掲示された音楽ビデオを、しばしば視聴している者です。

 御指摘の放送録画ビデオ「四つの国の同級生」は、既に何度も観賞しております。制作側も、相当な力が入っていることが窺える、素晴らしい出来栄えです。時期的にも、山一証券が倒産する金融危機の前に企画・制作されていますから、予算面でも、現在の撮影現場よりは恵まれていたのでしょう。
 また、今年4月から7月10日まで、鎌倉市立文学館に於いて【米原万里記念展覧会】が開催され、私も観覧して来ました。この展示会場でも、御指摘のビデオの内容を裏付ける小道具が沢山陳列されており、同級生たちの「昔の学校生活」が眼前に具体的に展開していく趣があり、大いに楽しめました。

 で、ベックメッサーさん、御指摘のビデオと一部、内容がダブル、重なる嫌いはありますが、同じく米原女史が出演した過去のテレビ番組の一部を編纂したビデオが、別のサイトに掲示されています。以下の要素にて点検探索されますと、浮上するかもしれません。ご関心あれば、どうぞ。

[米原万里:(あの人に会いたい)]

 お元気で。
 
    (管理人) 本日掲示板にスパムメールが投稿され、これを削除するためにログインしたところ、2年以上前にいただいた投稿を見つけました。
せっかく書いてくださったのにそのままにして、失礼いたしました。
なお、某動画サイトでの同名の投稿者とは、「ベックメッサー」というハンドルの方でしょうか。それは私とは別の人です。
今、youtubeを覗いてみました。ご教示いただいた「米原真里 あの人に会いたい」は、すでに削除されてしまったようですが、「四つの国の同級生」はまだ残っていました。
 

『4つの国の同級生』

 投稿者:ベックメッサー  投稿日:2011年 2月 7日(月)03時26分37秒
返信・引用
  皆さん、すっかりご無沙汰しておりました。
もう5年前、米原万里さんが亡くなった折に、彼女が出演したNHKの番組『4つの国の同級生』が、この掲示板で話題になりました。是非見たいものだと思いつつも、NHKの放送博物館等で見られるアーカイブにも何故か入っておらず、半ばあきらめていました。
それが、先日久しぶりに再放送されたようで、その録画とおぼしきものが、ネット上に出現しました。これは著作権に抵触すると思われますので、その所在は明示できませんが、ともかくその録画によって、念願のこの番組をついに見ることができました。

『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』は、ほとんどこの番組の制作過程を活字にしたような作品ですが、やはり映像と文字の違いが如実に出ていました。「アーニャの嘘」は番組では全く触れられません。つまり、一番奥の事柄がスルーされたわけです。映像作品とはこんなに浅薄なものだったのだろうかと首を傾げざるを得ませんでした。

しかし、どれだけ文字を並べても表現しきれないものを、一瞬の映像が伝えてくれる、これもまた真実です。長年のイギリス暮らしでロシア語を忘れていたかつての同級生が、電話口の向こうで必死でロシア語を思い出しながらで話す声、そして彼女たちの30年ぶりの再会の場面などなど。

「再会」というのは、誰の人生のなかでもドラマを作ってくれます。この米原さんの場合ほどまでに劇的ではなくとも、どなたでもそうした出来事があることでしょう。しかしながら、圧倒的に多くの人とは再びまみえることもなく、忘却の彼方に消えて行ってしまいます。そもそも一生に何人の人と出会うのでしょう。そしてそのうち何人と再会することでしょうか。また会ってみたい人というのも脳裏を去来します。が、実現はしないほうがいいものなのかもしれません。



 

ニューイヤーコンサート

 投稿者:ベックメッサーメール  投稿日:2010年 1月 5日(火)00時22分15秒
返信・引用
  > No.1619[元記事へ]

bernardsstarさんへのコメントです。

お久しぶりです。投稿ありがとうございました。ニューイヤーコンサートですが、私はネットラジオで後半だけ聴きました。で、投稿をいただいて、前半をオンデマンド(下記のURLで今月8日の日本時間19時まで聴けます)でフォローしているところです。

典雅なウィーン音楽+フレンチオペレッタだなというのが、月並みですが私の感想です。なにせ「典雅」なんていう形容は、薬にしたくてもできないのが、今時の音楽シーンですので、こういうのは滅多に聴けないなあという気がしております。

ウィーンフィル、確かにおっしゃる通り見事な腕前なのですが、先月半ばに彼らが国立歌劇場のピットで弾いていた『トリスタン』(ラトル指揮)のような、恐ろしさすら感じさせる研ぎ澄まされた音楽と比べると、やはりリラックスした祝祭という印象でした。

と、振り返って読んでみると、気の利いたことは何も書けてませんが、お正月につきご容赦を(笑)。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

http://212.92.28.75/bartok/MP3/5-Pen/Pen-B11.m3u

 

(無題)

 投稿者:bernardsstar  投稿日:2010年 1月 3日(日)11時26分31秒
返信・引用
  2010年、新年明けましておめでとうございます。
本年のウィーンフィル、ニューイヤーコンサート、素晴らしく充実した演奏・構成でしたね。何より、小曲の演奏に全霊を傾けるジョルジュ・プレートルさんの85歳とは思えぬ指揮ぶりに応えるウィーンフィル楽員の演奏が素晴らしかった。このような曲の数々を生中継で演奏してどの曲も一糸乱れぬ最高の演奏で聴かせることができるのは、ウィーンフィルをおいて他にはないのではないでしょうか?
ジョルジュ・プレートル指揮の演奏を生で東京で聴いたのは数年前、パリ管だったと思います。そのときも、アンコールのカルメン前奏曲の演奏が大変に素晴らしく燃えたことを記憶しています。また、ベルリンフィルを指揮した夏の野外コンサート(DVD化されている)も大変な名演でしたね。
たいていの名指揮者は交響曲のような大曲には力を入れても、小品は軽く流します。しかし、ジョルジュ・プレートルは、小曲に対しても熱い想い・集中力で指揮に臨みます。アンコールの「美しく青き(美しき蒼き)ドナウ」のコーダの盛り上がりはまさに、ベートーヴェンの交響曲のそれのようでした。
 

謹賀新年

 投稿者:ベックメッサーメール  投稿日:2010年 1月 1日(金)19時46分3秒
返信・引用
  明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
目下暮らしている場所がこんなところだというご紹介に、最近作られたドキュメントをご覧に入れます。



続きもYoutubeで見られます。
 

Re: 東ベルリン

 投稿者:ベックメッサー  投稿日:2009年12月16日(水)06時27分50秒
返信・引用
  > No.1616[元記事へ]

takechanさん

はじめまして。すっかり休眠状態のこのサイト&掲示板に書き込みいただき、ありがとうございました。そういえば、壁開放20周年もいつの間にか過ぎておりました。何せここまで「中欧」からかけ離れた地に流れてきて、しかもそれがなかなか快適となると、あの冬の闇を思い出すのは難しいことになってしまっています。

> 青春の若き日をドイツで過ごした私ですが、思い出をブログにしています。

このブログのURLを貼っていただけないでしょうか。是非拝見したいです。


> あのころ東ドイツを通過したときの緊張感が思い出されます。

もはや再現しようにも不可能な緊張感になってしまいました。それとも世界のどこかには、まだ同じものがあるのでしょうか。タイからマレーシアに抜ける国境の一つに、徒歩で橋を渡るところがあるのですが、道具立ては東西ベルリンのどこかにあったものと似通っていても、南国ののんびりした風情はあの凍てつくような寒さとは似ても似つきません。

> 1981年でしたが、25マルクの強制両替があったのでしょうね。

私が始めて東ベルリンに入ったのも1981年です。その直前に強制両替額が25マルクに引き上げられたらしいです。

> またいつか訪ねれることを願っています。それまでちゅーす。

そのときは、こちらにその様子をご投稿願います。お待ちしております。
 

東ベルリン

 投稿者:takechanメール  投稿日:2009年12月15日(火)20時41分19秒
返信・引用
  東西ドイツが統一されて20年が過ぎましたね。
青春の若き日をドイツで過ごした私ですが、思い出をブログにしています。
東ベルリンに入った日のことを確認したくて、あなたのサイトにたどり着きました。
あのころ東ドイツを通過したときの緊張感が思い出されます。
1981年でしたが、25マルクの強制両替があったのでしょうね。
東ドイツが初めての共産圏でしたが、その後東ヨーロッパは殆ど旅行しました。
今はヨーロッパからは慣れた地で暮らしておりますが、ヨーロッパの記事を書いている旅に、
懐かしくドイツ語も思い出されます。私の一番のドイツの友人もココに移民して来ました。
壁が壊れてから20年、私の青春も遠い昔のことですが、ドイツは思い出の地です。
またいつか訪ねれることを願っています。それまでちゅーす。
 

どこにでも移植できる中欧の文化…?

 投稿者:ベックメッサー  投稿日:2009年 6月14日(日)01時01分55秒
返信・引用
  > No.1613[元記事へ]

> ベックさんのお住まい付近のカエル合唱団たちが弦楽カルテットの邪魔をしないことを
> 願っております。

蛙たちは静かにしておりました。が、Mitteleuropaの文化をそれ以外の地域で楽しもうと思ったら何が起きるかを、思い知らされた晩でした。演奏されたのは、ただの弦楽四重奏です。別にワーグナーの楽劇をやろうというわけじゃありません。なのに、それはとてつもなく大変なことになってしまいました。

開演前…妙に着飾ったお嬢様や奥様方がぞろぞろと集まってきます。この地に長く住む日本人の同僚は、開演時刻ちょうどを待ち合わせの時間に指定してきました。それじゃ間に合わなくなるぞ、とやきもきしていたのですが、彼の読みどおり、開演時刻を過ぎても一向に始まる気配は無く、約30分後に開始となりました。

はるか1000キロ離れたバンコクから来演した「タイ・フィルハーモニー交響楽団」の面々は、4人中3人が元ソビエトの中欧某国出身の人たちでした。ところが一人が何らかの事情で欠けてしまい、そのために曲目変更、ボロディンの四重奏曲のはずがアンダーソンか何かになってしまいます。それでも一曲目のハイドンは予定通り。ところが、演奏が始まっても何も聞こえてきません。会場となった大学の講堂のアクースティックがあまりに悪いのです。そして超高温、超多湿ときてますから、もう微かに鳴っているものを一生懸命耳で拾って聞くという作業が続きました。そして、有名な音楽家を輩出しているあの国から来たはずの人たち、旧ソビエトの音楽教育を受けているはずなのですが、?でした。あれなら、エアフルトの街角に立ってバッハやコレルリを弾いていた、やはり旧ソ連から出てきた楽師さんたちのほうがずっと上手です。

ドイツでもオーストリアでも当たり前のように鳴っているあの音楽、実はそれなりの腕前を持った人たちが揃って、ちゃんと響く場所に聴衆が集まって成立するものなのだということに、気づかされました。そして、我が日本がそれをかなりの程度実現していることは、もっと評価して良いかもしれませんね。
 

ハイドン命日と聖霊降臨祭

 投稿者:Spinatpolka  投稿日:2009年 6月 3日(水)20時29分15秒
返信・引用
  5月31日はハイドンの200回目の命日で、しかも聖霊降臨日の日曜でしたから
ハイドンゆかりのアイゼンシュタットのベルク教会よりミサの中継がORFであり
天地創造ミサが演奏されていました。
その後、エスターハージー城の広間より、オラトリオ「天地創造」の実況中継があり
ハイドン200年記念祭のピークともいえる日曜日でした。

学校関係は火曜日まで聖霊降臨節の休暇でしたので、シュタイヤーマルク州のグルンドゥル湖まで
足を伸ばして素晴らしい景色を堪能して来ました。ブラームスの室内楽2曲(Op.87のピアノトリオ
とOp.88の弦楽5重奏曲)が初演された場所Altausseeには何度か行きましたが、そこからさらに奥まった
Grundlseeへは今回が初めてです。(当時、ブラームスはAltausseeからGrundlseeへ歩いて行ったようです)
カラヤンの祖父が建てた別荘が湖を見下ろせる場所にあり、カラヤンが子供の頃に夏を過ごしたというその湖と
周りの山々の景色は絵に描いたような素晴らしさでした。
そのとなりのトプリッツ湖はさらに奥まってひっそりしており、ナチスによってその湖に隠された宝探しが
現在もひっそりと行われているようですが、その深さや日光の届かぬ湖の底の水温などの悪条件のもとに
潜水夫の命が犠牲になったりもしているようです。
 

防げぬ自然現象

 投稿者:Spinatpolka  投稿日:2009年 6月 3日(水)20時22分23秒
返信・引用
  通奏低音さん

スズメ達も参加したパウルスのコンサート、とりわけ、最終音のあとの息を殺すような無音の
一瞬もお構いなくチュンチュンさえずり続けた様子を想像して、これがモーツァルトの
Spatzenmesseだったらもっと効果的であっただろうなどと苦笑いしてしまいました。
今年は例年に比べて鳥達の合唱が、より賑やかな気がします。私の職場のレッスン室の外でも、
何の種類の鳥たちでしょうか、声自体は非常に美しいのですが、うるさいほどに一緒に歌ってくれまして、
頼むから静かにしてくれないか、と思うほどうるさいです。
それから早朝、日が昇る前と、日が沈む前(昨日は21時をまわった時刻)にも、なにやらこぞって大騒ぎをする
時間帯があります。特に早朝のこの時間に目が覚めてしまうと、あまりのやかましさに再び眠るのが難しくなります。
今は木々にサクランボが沢山実をつけていますから余計忙しいのかもしれません。
伴奏なさっている合唱団、パウルスの次はどんな曲に取り組まれているのでしょうか?
またお話をお聞かせください。

ベックさんのお住まい付近のカエル合唱団たちが弦楽カルテットの邪魔をしないことを
願っております。
 

ハレ/ザーレ

 投稿者:ベックメッサー  投稿日:2009年 6月 3日(水)13時07分42秒
返信・引用
  > No.1609[元記事へ]

シュピナートさま

わざわざハレから客演した合唱団があったのですね。あそこはエアフルトから列車で1時間とちょっと、ヘンデルの生地として知られていますが、大学(音大?)に教会音楽専攻があり、この近辺の教会のカントルの大半はあそこを卒業しています。エアフルトで入っていた二つの合唱団の指揮者が両方ともそこで勉強していたはず。あるいはそうした学科のプロの卵たちによる合唱団だったのでしょうか。

町自体は戦災を受けた後、東独が社会主義的都市計画を実行して再建して「しまい」、歴史的な建物とのあいだにギャップを感じさせる町並みになりました。たまたま知人が何人かここに住んでいて何度か訪問しましたが、私はいつもそのアンバランスが気になっていました。この先どのようにして市街を発展させることでしょうか。
 

Domspatzen、キョフテ

 投稿者:ベックメッサー  投稿日:2009年 6月 3日(水)13時00分22秒
返信・引用
  通奏低音さま、書き込みありがとうございます。

パウルス、伴奏ピアニストを務めたあと、オケ合わせ以降はパートを飛び越えての八面六臂のご活躍でありましたが、スズメの協賛(抗議?)も得て賑やかな演奏会になったようですね。

その大昔、ピエール・フルニエが木曽福島の高校の講堂で演奏会をやりました。時は9月末だったでしょうか、天井に無数のバレーボールの当たった跡がある古い木造の建物は、なかなか味のある響きを出していました。が、防音などありませぬから、秋の虫たちとの素敵な競演になりました。特に休止符のところで聴こえてくる鈴虫の声はえもいわれぬものでした。…が、今になって思い出して気づいたことがあります。あれ、日本人以外の人たちにはどう聞こえたのでしょうね。単なる騒音だったのかもしれません。

このタイの田舎町に、あさって「タイフィルハーモニー交響楽団」なる団体のメンバーからなるカルテットが客演します。会場周辺=我が家近辺には、強力な声帯を持つウシガエルのような両生類が棲息しておりまして、夜になると愛のささやきか戦いの雄叫びだかを朗々とないしは轟々と聞かせてくれています。あれが弦楽四重奏と一緒に鳴き出したら、私にとってそしてここの人たちにとってどう聞こえるのでありましょうか。あさってが楽しみなような、おっかないような…。

>キョフテの味はいかがでしたでしょうか。

そう、ミュンヘンでケバブをいただいた次の段取りとしては、マンハイムでキョフテ(トルコ風のハンバーグみたいな挽肉の料理)ということになります。住民のなかにトルコ系の占める割合が極めて高いこの町では、ドイツのどこよりもおいしくトルコ料理が食べられます。で、パウルスのプローべを聴かせていただくのを数十分端折ってキョフテをいただいたのですが、まずタイ料理に慣れた胃袋には量が多すぎました。そして味が単純すぎる。そしてあのキョフテ屋のオヤジは、マンハイム在住の妙齢の邦人女性と入ったときの歓待ぶりとは別人のように無愛想でした。

やっぱりメンデルスゾーンをぎりぎりまで聴かせていただいてから列車に飛び乗れば良かったのでありますが、食い意地に走った罰が当たったのかもしれませぬ。
 

パウルスとスズメ

 投稿者:似非通奏低音奏者@HNあやふや  投稿日:2009年 5月29日(金)09時39分36秒
返信・引用 編集済
  おひさしぶりでございます。ブラウザを変更しましたら、自分のHNが思い出せなくなりました。合っているかどうか自信がありません。

はい、パウルスやっておりました。ソリスト練習も「指揮者だけ練習」もほぼ皆勤でしたので、全曲弾いたことになるはずです。曲の素晴らしさはSpinatさんが十分書いてくださいましたので、例によって周辺もろもろを。

ベックさんにもお越しいただいた会場となった教会は、町のど真ん中にある、信者数の減少で独立した教区としてはやっていけなくなってしまったプロテスタント教会でした。ある意味、最もマンハイムらしい立地と言えますが、ケバブ屋やらトルコパン屋やらがひしめきあい、モスクがご丁寧にトルコ系とボスニア系の二つ、それにシナゴーグとカトリック教会が立ち並ぶ一角にあります。

本番当日は、会場で小一時間声だしをしたあと、斜め前のシナゴーグの玄関前芝生で(おそらく無許可で)ヘブライ語の表札を背に合唱団の記念撮影、さらにカトリック教会の集会所を借りて本番前最後のダメ出しをしました。

開演時刻ぎりぎりになってしまったため、80人の団員は再び、近道であるシナゴーグの敷地内を堂々と横断し、鐘が鳴り終わるのを待って、入場しました。

演奏はといいますと、昨年のロ短調ミサより特に女声とベースに定着した学生団員たちのおかげで増えた若い声が古参たちとようやくうまい具合に融合し、そこそこ重厚感をとどめたまま生きの良い表現もできたようで、聴衆や地元紙の反応も概ね良いものでした。

この会場となった教会は、近代建築としては価値のあるものらしく、せめてイベント会場として運営を続けられないものかと、音大に貸し出そうとして断られるなど、マンハイムのプロテスタント教会全体の悩みの種の一つとなっているのですが、この日は建物でも人間でもなく、信者の代わりに教会の軒先のどこかに住み着いたスズメが、良い言い方をすれば、コンサートに「花」を添えてくれました。
ゲネプロ時から、ソリストもオケも顔を見合わせてしまうくらいの賑やかさ。「演奏会本番は静かにしよう」などと彼らが思うはずもありません。レツィタティーヴォの歌詞に割って入るがごとき迫力の声量で、80人の団員とともに歌い続けた彼らは、終曲のフーガの最終音と拍手の間の一瞬の静寂もお構いなしに、全く同じ調子で囀っていました。
翌日以降聴衆から団に届いた手紙やメール、それに地元各紙の演奏会評には、演奏を高く評価する一方で、「スズメはどうやらメンデルスゾーンがお好みらしい」だの「スズメの鳴き声があんなに大きいものだと初めて知りました」などの一文が必ず含まれていました。

複数の宗教・宗派が入り混じる町の一角で、宗教施設としての機能は最も衰退してしまった教会を会場としてこの曲を演奏できたのは意義深い出来事だったのだろうと思いますが、他方、人間がさっぱり出入りしなくなって穏やかな生活を楽しんでいたスズメたちを、我々がひどく怯えさせてしまったのではないかと、少し心苦しくもなったコンサートでした。

ところで、ベックさま、キョフテの味はいかがでしたでしょうか。
 

Paulusが終わって

 投稿者:Spinatpolka  投稿日:2009年 5月27日(水)20時52分33秒
返信・引用
  > No.1608[元記事へ]

ベックさん
久々の中欧、耳も舌も十分に堪能されたようで何よりです。
この機会にあれもこれも、時間ギリギリまで欲張ってあれこれ見よう食べようというのは
日本に一時帰国の際の自分を見ているようでとても納得出来、笑いながら読みました。
しかしながら乗り継ぎの間にオペラ座へ、というのはさすがですね!

そうですか。。。通奏低音さんもパウルスの伴奏をなさっていましたか…
先週末に隣町の教会で本番があり、私は聴衆席に座って、今までの練習のことを
色々思い出しながら、あの素晴らしいオラトリオを堪能しました。
3つの合唱団が合同で歌いましたので、祭壇の位置に何段ものひな壇が組まれ140人あまりの
合唱団員、その前にオーケストラ、ソリスト、と大変な人数でした。
そのうち一つの合唱団はドイツのハレ(Halle/Saale)のJugendchorで、本番の2日前にはる
ばるバスの長旅を終えて隣町へ着き、宿泊先のこちらの合唱団員のそれぞれの家庭に荷物を
置いたあと、疲れた様子も全くなく練習にのぞんでいました。とても優秀な合唱団ですね。
そのピアノ伴奏での練習が、私にとって今回最後のお役目でした。

この長いオラトリオの時間を少し倹約するために、いくつかのレツィタティーヴォの部分は朗読され
それは、音楽から耳が離れる空間が少々出来て効果的でした。全部を歌うよりもいくらか時間は縮小
されましたけれど、コンサートが終わったのは23時少し前。
終了後、合唱団の人たちは大勢の聴衆の鳴り止まぬ拍手に本当に嬉しそうに教会から出て来ましたが、
オーケストラのメンバー達は”わぁ、長かったァ~”と口々に、心底くたびれた様子なのが対照的でした。
ずっと一緒に練習におつきあいしていたものが、無事、大成功に終わり、こういうこは自分のこと
のように嬉しいですね。
 

Re: 中欧の空気は?

 投稿者:ベックメッサー  投稿日:2009年 5月25日(月)05時23分36秒
返信・引用
  > No.1607[元記事へ]

旅行中はネット環境が目まぐるしく変わり、タイの自宅よりはるかに良い状態が無料というお宿があったり、有料の無線LANをドイツ鉄道のICEから試したり、何をやってもつながらないという悲惨なときもあったりしておりました。ともあれ3週間の滞在を終えて帰ってきました。

> あまりにも異なった文化の国より里帰りされて、一番始めになさったのは何かしら?と
> 想像しています。

ミュンヘンでトルコ人のスタンドでケバブをいただきました(笑いそのものであります)。
なお、ドイツ名物の焼きソーセージがすっかり食べられなくなりましたが、黒パンは毎日のようにむさぼり食っておりました。

> 教会のオルガンの音色を聴きに、あるいはシュパーゲルにワイン(あるいはビール)でしょうか。
>

エアフルトだけじゃなくて、ナウムブルクまでオルガンを聴きに出かけました。シュパーゲルはシーズン真っ只中でしたから、食べまくりました。

そしてヨーロッパを去ろうという最後の日、未練がましくウィーンで飛行機を降りて町に出て、シュニッツェルを食べて"Brauner"を飲んで、国立歌劇場の立ち見に並びました。ヴァルキューレを二幕まで観て空港へ戻り、バンコク行きに乗りましたが、最後の最後でBudweiserを飲みました、それも二杯(笑)。

シュピナートさんが取り組んでおられた「パウルス」は、マンハイムでプローべを聴きました。もちろん通奏低音さんがピアノ伴奏と本番では合唱団に加わっておられました。お二人ともほぼ同じ時期に同じ曲を弾かれていたのですね。
 

中欧の空気は?

 投稿者:Spinatpolka  投稿日:2009年 5月13日(水)21時28分57秒
返信・引用
  管理人さんが中欧から遠く離れたところにお住まいだと
やはり、ここに書き込むのをためらってしまい、ご無沙汰しています。
どこに住んでいようと、このKaffeehaus Belvedereがオープンしている限り
読んだり書いたりは自由なはずなのですが、どうもみんなそろって遠慮してしまっていますね。
あまりにも異なった文化の国より里帰りされて、一番始めになさったのは何かしら?と
想像しています。
教会のオルガンの音色を聴きに、あるいはシュパーゲルにワイン(あるいはビール)でしょうか。

こちらはここのところ没後200年のハイドンと生誕200年祭のメンデルスゾーンにどっぷり浸かっています。
今年はハイドンやメンデルスゾーンのピアノトリオを繰り返し演奏し、オラトリオ「Paulus」のコレペティ
をここ1ヶ月やっています。週末の午後に何時間も集中して合唱団が練習するのにおつきあいしたりも
しますが、あのオラトリオ、何時間接していても飽きることなく、どの曲をとっても素晴らしいものばかり。
もうすぐピアノ伴奏のお役目はおしまいなのが残念なほどです。
これが終わると今度は他の合唱団でハイドンのオラトリオ:天地創造のコレペティです。
私にとっては嬉しい2曲が続いて幸せというところです。

中欧の空気、十分に満喫されますよう。
 

プラハの春音楽祭開幕

 投稿者:ベックメッサー  投稿日:2009年 5月13日(水)01時36分57秒
返信・引用
  すっかりご無沙汰してしまいました。何せ管理人が「中欧」を遠く離れておりますので、どうも書き込むのが難しいです。しかし目下、古巣に帰って中欧の空気をたっぷり吸っているところです。

で、本日は5月12日、スメタナの命日で「プラハの春」開幕の日です。恒例の『我が祖国』は、今年はアントニ・ヴィットの指揮です。中部ヨーロッパ時間で20時、日本時間では13日の午前3時からの開演です。

リンク先はチェコの放送局のストリームの案内です。Vltava局を選んで、ご自分のネット環境にあったものを選んで聴いて下さい。

http://www.rozhlas.cz/audio/vysilani/

 

DGのサイトとメンデルスゾーン

 投稿者:ベックメッサー  投稿日:2009年 2月10日(火)02時35分13秒
返信・引用
  シュピナートさん

メンデルスゾーンの特集放送、お楽しみいただけたようで幸いです。彼のオルガン曲は、その道の方たち以外には日本ではほとんど知られていないようですし、室内楽にも素敵なものがあることを、初めて知った次第。

Deutsche Grammophon(今はユニヴァーサルの傘下ですが)が、ネットショップを開いています。そのなかでメンデルスゾーン特集がありました。下のリンクはそのページにつながっています。ダウンロードで買えるほかに、1アルバムが1ユーロで1週間のお試しがあり、何度でも全曲試聴できます。

Naxosのライブラリーも非常に重宝しますが、DGはさすが名盤の宝庫です。お金を少し払ってでも聴こうという気にさせてくれるものが、ずらりと並んでいます。これでダウンロード版の値段をもう少し下げてくれると嬉しいのですが。

http://www2.deutschegrammophon.com/webseries/?ID=mendelssohn2009

 

Re: メンデルスゾーンの日

 投稿者:Spinatpolka  投稿日:2009年 2月 4日(水)08時00分2秒
返信・引用
  > No.1603[元記事へ]

ベックさん

遠い国から、メンデルスゾーン盛りだくさんのラジオ放送のご案内をありがとうございました。
お陰さまで随分楽しむことが出来ました。

このところ、オラトリオ「聖パウロ」や合唱曲を頻繁に耳にしては、メンデルスゾーンはやはり
大変に好きな作曲家だと,その才能に敬意を新たにしていたところでしたので、200年の誕生祭に
ちなんで、豊富な放送プログラムが組まれていたことは大変嬉しいことでした。
今日朝一番に聴こえて来たのは「歌の翼に」の美しい旋律!なんと長いことこの曲を聴いていなかった
ことでしょうか。
その日一番始めに耳にする音楽が素敵だと、1日幸せな気分でいられるような気がします。
1日の最後の音楽は、ラジオ・シュテファンスドームから流れて来たEliasの中のドッペルカルテット
"Denn er hat seinen Engeln befohlen"をベルリンフィル12人のチェリストたちの演奏ででした。
メンデルスゾーンの200回目の誕生日。数多くの宝物を残してくれた偉大な作曲家に
心より感謝して。。。
 

Re: メンデルスゾーンの日

 投稿者:ベックメッサー  投稿日:2009年 2月 1日(日)20時09分22秒
返信・引用
  > No.1602[元記事へ]

前の投稿でご紹介したMDRのメンデルスゾーン特集、欧州放送連合の企画なので、あちこちの国で放送されています。「海外ネットラジオのクラシック音楽番組」サイトの2月1日2日に、詳しいプログラムが日本語で出ています。最初と最後の1時間を除いた大半は、バルトークラジオでも同時に放送されるようです。ということは、今日から一週間オンデマンドで聴くことが可能です。

すでに放送は始まっています。室内楽に続いて、今はオルガン曲を流しています。エアフルトにいたとき、観光客にオルガンを聴かせる30分の催しがあり、オルガニストは必ずパッヘルベル、バッハ、メンデルスゾーンを演奏していました。中部ドイツのオルガンならこれを聴け、というような感じでしたね。
 

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